大学生と街歩きをしてきました

2019.09.30 UPDATE 大学生と街歩きをしてきました

写真は、田町橋。


岡山理科大学で教授をしている大学の先輩から声をかけてもらって、これまで2回、1年生対象に岡山市の街歩きの案内をしています。理大生は県外から進学してくる子が多いようで、お話した生徒さんも、山梨、山口、福岡と色々な地域から来られていました。


明治時代の古地図と、江戸時代の地図、そして現代の地図と、古い写真をコピーしたレジュメを前日の深夜までホッチキス止めをしてた私。ちょっと寝不足なまま集合場所まで路面電車で行きました。


今日は、戦前に県庁があった天神山の周りの中堀の跡をぐるりと回ってから、明治時代の市域の西端にあたる西川に向かいました。
私が2002年に岡山に来てから、タワーマンションが増えて街の様子は一変したのですが、これは都市銀行が大合併をして支店統合が進んだため、銀行の敷地にタワーマンションが建ったんですよね。そして、同時期に中心部のドーナツ化現象で児童数が減っていた小学校5校が閉校。結局は1校にまとめられたのですが、都心回帰でまとまった1校がマンモス校になっているという都市計画の先見性の無さを嘆いてました。


旧出石小学校の南側には、岡山空襲があった日、映画監督の高畑勲さんの家がありました。そこから、京橋まで逃げた話が本に載っていたので、それと絡めて、空襲が一番激しかった田町橋を見ました。炎で焼けた欄干が、空襲の激しさを今に伝えてます。湯だった西川では多くの人が亡くなったそうです。


新西大寺町の商店街から少し南のところに、斜めに入る道があるのですが、ここがお濠の跡。路面電車も大雲寺まで開通したときは、こっちの道を通ってました。そして、大雲寺と日限地蔵の説明。私の両親は大阪から日限地蔵に拝みに来て、私を授かったとか。


そのあと、50年近く前の写真と西大寺町商店街の様子が全く変わっていないことにビックリしながら、京橋へ。ここには港があったんですよ、と説明するつもりでしたが、京橋から犬島へのクルーズ船が出る日だったので、京橋港が復活してました。こう見ると、たしかに港だー。

大学生と街歩きをしてきました1
そのあとは、「燃えろ岡山県民運動」の名残が残る、旭川の河川敷。ここだけ生徒たちから笑いが取れました。


岡山城の横を通って、岡山城ができる前の岡山城(石山)に上ったあとは、元の集合場所に戻って解散となりました。


久しぶりに2時間以上歩いて、疲れましたー。

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